バルセロナ、パリ旅行(2011年2月14日〜2011年2月28日)
今は自宅で時差ボケのために寝れずに(18時から2時まで寝て)もういいやとぼけーとしていたら4時になったのでとりあえずセブンイレブンにつけ麺とビールと納豆巻きを買いに行ってそれを飲み食べしている。(笑)一杯やっている、
思い返せば2月14日の4時は家で寝ていた。15日の4時はCDG(パリ、シャルルどゴールド空港)で新聞を読んでいた(CDGトランジットBCN行きの待ち時間)。28日の4時はパリのLamarkにあるホステルで7時に起きれなければ帰りの飛行機を逃すという緊張のため夜中に3回くらい起きたうちの一回が4時だった。そういえば2時に起きた時にその時間にシャワーを浴びていた日本人(旅をしながら仕事もしている)に「おはようございます」とか寝ぼけて言った気がする(笑)
3月1日の4時(頃)は帰国の飛行機の中で日付変更線に向かって飛行機が飛んでいるけど今の時間をどうやって正確に知るのだろうと考えていた。
そして3月2日の今は時差ボケで早朝から飲んでいる始末。(笑)面白いもんだと思う
ふとコンビニの帰り道で今回の旅行を振り返ろうかな、と思いたち、食べ物の容器、服、布団、旅行の荷物で足の踏み場もないこの部屋で、朝っぱらから振り返りを始めたということ笑
そもそも今回の旅行は大学学部生活の終わりに働きはじめると長期的な休暇が取れないからどこか2週間ほど使って海外にでも行くかと気軽な気持ちで思い立った。
行き先はヨーロッパにしようかアジアにしようかそれともアメリカ大陸かと右往左往し、いったんはシンガポールに超短期語学留学という選択肢に決めかけたがなんだか納得がいかず、金は親に借りれるんだから思いきろうと発想を変えたらやっぱり見たいのはサッカーだと思い欧州トップサッカーを見ることを一つの目的とした。今までサッカーは11年くらい続けたわけだし、その間ずっと(誰もが夢見る)プレミアリーグ、リーが得スパンよーら、セリエを夢見ていた。その地を生で見ることが自分のモチベーションの原点を見ることができるのではないかと思い。ヨーロッパに決めた。後はなるべく(有名な)絵画、彫刻、建築も見たいと思い建築の町バルセロナ、芸術のまちパリを選んだということ。
旅費はNRT(-CDG)-BCN,CDG-HNDのairfrance,JALの共同便で9万5千円程度、BCN-BVA(France)がRyanairで4千円程度の合計10万円ほどかかった。
バルセロナは8人人部屋のユースホステルが18€/nightに7泊,パリは2つのユースホステルに止まって1つ目18€/nightに2泊、2つ目21.5€/nightに4泊した。
食事はひどかった。朝飯パン、コーヒー、昼飯フランスパン(ベーコンが破産である)、夕飯パンという3食おやつみたいな生活。いいもん食べたいなら金がないと無理。それはどこでもいっしょだけど(笑)しかし、パリでの最後の日にフランス料理レストランで食べたアヒル料理はうまかった。あれが最初で最後のまともな食事だった笑友達Hがパリに住んでいてよかった。
バルセロナではiphoneをすられた(?)のが一番の思い出だ笑
たまたまカタルーニャ広場近くで日本人を知りあい、意気投合したから飲みに行って、ホステルに朝6時頃に帰って、昼過ぎに起きて時間をiphoneで確かめようとしたら、なかった。思い当たる節はレストランで荷物おいて二人揃ってコーヒーを注ぎに行くという「愚行」の間2分ほど笑、あの時にやられた気がしてならない。帰国してなくなってから通信停止するまでの料金を調べてもらったけど使われてなかったようでよかった。
iphoneは英語表記に設定してあって、すった人は英語が読めないために飛行機モードさえ解除できなかったんだろうなぁ笑
当初の目的であった欧州サッカーを観戦するという目的はもちろん達成できた。
カンプノウでバルセロナ対アスレチックビルバオを観戦した。10万人近く入るスタジアムが満員になり選手のプレーに挙がる感性や野次や溜息はスタジアムに響き渡りまるでスタジアムが一人の人間のように思えるほどだった。
原点が見られた。
その原点がなんだったのか分かった気がする。それは「度を超えた暇つぶし」だった。「暇つぶし」は暇な時間を過ごす手段で、暇とは「継続する動作などの合間に生じるわずかの時間」。「事をするための一定の時間」。「自由に使える時間」。「なすべきことの何もない時間」。暇というspare「余分」を使う手段のうち一番親しみのあるものがサッカーだった。その余分は何に対しての「余分」だったのか。生活に対しての余分、勉強時間に対しての余分なのか、分からない。なんであろうとサッカーには余分を超えた時間を費やしてきた。それは暇つぶしというには多すぎるし、仕事とするための下積みには少なすぎる。いっぱしのプライドを持ち、試合に出よう、活躍しよう、向上しようと気合と時間を費やし、それは小学生以降暇の領域を超えたと思う。サッカーから暇つぶしを超えた経験ができた。生活する(食べて寝て)のに勉強はいらないからだと鍛えることは不要だけれど、サッカーを学び、試合のために身体を鍛える日々はなんのためだったのか。「楽しかったから」の一言では片付くはずもなく、「プロを目指していたと」はお世辞にも本気では言えるはずもない。中途半端の対象だった。好きなように取り組める。やる気がない期間があってもよし。やる気がある期間があってもよし。うまくいくとき、うまくいかないとき、どんなようになってもよし。そこに行けば、一緒にサッカーをする仲間が毎日いる。毎日勝負ができる。試合のためになど練習をしていなかった。練習自体が勝負であった。勝負というには大げさな暇つぶしであった。気持は試合には向いていなかった。
日曜日の21時キックオフの試合に10万人が来る。選手は、観客は、目前の「今(もう今ではないが)」のプレーに感覚を研ぎ澄ます、集中する。試合は展開する。点が入る。歓声が上がる。リプレイなんてない。そこにあったのは「今」に集中する人たちだった。
パリのパンテノン神殿は鳥肌が立った。
内部にはフーコーの地球の自転発見を記念して内部には巨大な振り子が設置されている。
高い天井からつるされている一つの鉄球の振り子運動は「時=今」を表し続ける。人は振り子に今を「見る」
なんであんなに高い建物を建てたのか、「信仰」は人々に世代を超えた継続性を与える。それこそサグラダファミリアだってそうだ。石を削り積み立てて、それが100年以上の年月をかけて作り上げられる。あるいは断崖絶壁の上に物を立てる。崖に十字架を建てる。一つ一つ見ていくうちに宗教は昔から「金」のために上位階級の人たちが便利に使っていたのではないかという思いが強まってきた。自分たちの地位継承の象徴として人々の思いの先に神を創出しそこへ思いを向けさせて、その信仰は自分たちへ向く、そして金も集まる、それは地位の継承になる。100年以上かかる建築物を作ることも100年間の労働の集積物はそれを作る人々、その身の回りの人々、つまり町全体を抱えた大事業となり、その作業自体が神聖味を帯びていく、完成するときには何十年もの時の積み重ねを受け、関わった無名の人たちの歴史を背負っている。それは信仰心を強め、指導者の象徴となる。一方絵画も同様に高い金を使って書かれたものがある。それは絵の具によってなされている。初めから高価なものだった。資金提供者は絵の具を得のうまい人に使わせる。それによって、絵は始めから高価なものになり、大衆の手の届かないところにおかれる。そしてたくさんの人々の羨望を集める。それは世界的な信仰となる。
その表出は時を越えてインプットされ続ける。
カンプノウでは、バルセロナを応援しに行ったわけではないのにいつのまにかバルセロナを応援していた。場の空気は個を吸収してしまう。
時の集積と今の集合には何物もかなわない。
過去なんてない、未来もない、あるのは今だけ。今のために今、集中する。表出する。今は時間であり、存在であり、身体でありそれは感覚である。今、見ていること、聞こえること、触れていること、考えていること、匂っていること、味わっていること、そこにすべてがある。それ以外どこも何も存在しない。‐そこ‐にある。
かつてそこでプレーしようと思っていた過去の自分はありもしない「未来」を見ていた、それは(当時の)今ではなかった。それはあこがれでもなんでもない、「今」の暇をつぶすための表出の場だった。自己表現の場だった。しかしながら、自己表現の場がなぜサッカーでなければならなかったのか、「ならない」と思っていたしそれ以外にないと思っていた。しかし、人生を微分した、「今」は表出の場、自己表現の場ではないか。
もう外が明るくなり始めた。から学校にでも行くかな。